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渡名喜村の歴史

歴史

村落の左手にある海抜約80mの突出した丘陵(里)は、
渡名喜部落がいまだに成立していない時代の旧部落といわれ、貝塚や現在部落民の拝所でもある井戸があります。
人々が、いつ頃からどういう経路で現在の集落に住みつくようになったかは不明ですが、
里に定住した後、付近の土地を開拓しながら、次第に下方に発展しながら村落を形成していったようです。

王府時代の渡名喜は、久米、粟国、慶良間の島々と同じく、久米代官の管轄化に置かれました。
 
廃藩置県が断行された翌年(1880年)、渡名喜は那覇役所の管轄となり、明治29年に島尻郡に所属しました。その翌年には島長制に切り替えられ、島長制2代を経て、一時は慶良間列島制度に編入されたこともありましたが、昭和21年3月、旧村に復帰し現在に至っています。

里遺跡

集落の北に位置し、クサティ森の役割を担う里には「里殿」「ヌル殿内」の拝殿などがあり、島内随一の拝所となっています。

昭和53年の発掘調査の結果、この地は14世紀から15世紀頃のグスク時代の遺跡だということが判明。
里殿の拝殿北隣からは基壇と掘立柱跡が発見され、ヌル殿内の拝殿平場からは掘立柱跡が明らかにされました。

各平場の隅には小貝塚が形成されていて、
遺物はフェンサ上層式と呼ばれるグスク系土器、輸入陶磁器、鉄釘、鉄鎌、古銭、鉄滓、牛の遺存骨、炭化米・麦などが出土しています。

里遺跡